ボクの新しい習慣に「思考」がある。
現在配信している論語の一節を1日1時間ノートの上で格闘する。
1日目はこの文をどのように自分ごとにするか。
2日目は、自分のものにするためにあえて疑う。
そして先程、この記事ができた。
ノートに思考を吐き出すのは気持ちがいいことを知った。
ムダのない言葉より、泥臭い思考の結晶
AIを活用すると、ムダのないすっきりした文章が出てくる。しかし、それでは味がない。思考の痕跡がなく、書き手がその人である意味もない。
泥臭く思考した結果、出てきた言葉こそ、命があると言えると思う。
さだまさし氏が言葉には体温があると言ったが、本当にそうだと思う。
今や、体温のない言葉が量産されている。
ブログでもYouTubeでも、本でも、発信する人たちは本当に自分が伝えたいことを言葉にしているのだろうか。
自分への戒めでもあるが、時間効率を重視して、いいものはできるのか?
時代を逆行するという最善解
タイパ・効率が重視され、できるだけ早く、できるだけ多くが求められる時代。
この時代は後世に何を残せるのだろう。
読書ですら、多ければ多い方がよいとされ、誰も考えるということをしなくなった。
文章を書くのも今ではPCがあるから、思考がすぐに文字になってくれる。
ボクもタイピングは早い方で、ブラインドタッチで思考を挟まず、思ったことを文字にしている。
そして、これが体温のない言葉を生み出していることに気づく。
効率が良くなって、一人が生産できるものが多くなるほど、その価値は下がっていくのではないか?
この記事も書く前に、30分ノートで格闘した。

ちなみに、机には1時間、30分、10分…の砂時計がある。タイマーだと音が鳴るのにビクッとするから、嫌だが、砂時計ならただ逆さにするだけだし、音もないから好きだ。
どんどんアナログになっている。時代と逆行しているようだが、これが逆に効率がいいと思う。
今までの反省
PCを使うとコピペも楽で、ボク自身、コピペしたり、AIでちょっと変えた文章をブログやメルマガで使っていたことを反省している。
ただ内容だけを伝達する「体温のない言葉」を生産していたにすぎない。
それではボクが配信している必要はないはず。
誰がやっても同じだし、それならAIがやった方がいいかもしれない。
タイムパフォーマンスを重視する時代に生きているボクも例外に漏れず、できるだけ効率よくと考えていた。
じっくり取り組むことへのためらいや、時間がもったいないという感覚、さらにアナログを活用するのは時間ロスという偏見もあった。
しかし、覚悟を決め、実際にノートとペンだけで格闘すると、こんなに楽しいものなのかと感動した。
泥臭い思考のしずくをあなたに
ノートに手書きをしている間は、驚くほど集中できる。
PCで書き物をすると色々と気が散っていたが、ノートだと砂が落ちるまではとことん思考できている。
PCでは思考するというより、機械的に書いているだけだったが、手書きでは思考が生まれ、AIにはできないものが生まれる。
文章もちゃんとしていなきゃダメだ。
文体もしっかりしないとと考えていたが、それは違うと気がついた。
AIで文章が書ける時代だからこそ、心からの言葉を綴ることが価値になる。
これでボクにしか書けないブログになると思う!
あなたに、泥臭い思考から生まれた、美しい雫を届けていきたい。
動画でも話したのでぜひ見てほしい。
