好きで始めたのに、いつの間にか飽きていた。
中国のドラマにはまって、勉強し始めた中国語。スクールまで申し込んだのに、今では勉強が苦痛になってる。
こういった体験を持っている人、多いのではないでしょうか?
ボクの場合、好きで始めた「広東語」はフェードアウト。
特に思い入れのなかった「中国語」は通訳に。
動画では、ボク自身の広東語や中国語に対する興味の変遷と、
勉強の進め方を紹介しています。
以下、くわしく見ていきましょう。
「これが好きだから勉強する」は、長続きしない?
「広東語を勉強しよう!」
ジャッキーチェンに憧れていたボクは、熱意に溢れていました。
香港にプチ移住までしたくらいです。
でも結局は、長続きせずに終わりました。
というのも、だんだんジャッキーチェンへの興味が薄れていったんです。
熱意がなくなり、残ったのは、いろいろ集めた広東語の教材のみ。
それと「せっかく香港まで行ったのに」という、損切りできないもどかしい気持ち。
そうなると「勉強しなきゃ」という義務感だけが残ってしまい、
やがてモチベーションは消え、広東語の学習も自然と止まりました。
このとき気づいたのは、「好き」という感情も移ろうものだということ。
つまり、人の興味や情熱は思っている以上に「無常」なんですね。
興味がなかったからこそ、続いた中国語
一方で、中国語(標準語・北京語)には、深い思い入れはありませんでした。
香港の映画や歌は、ジャッキーチェン関連で親しみましたが、
北京語の映画や音楽はまったく知りませんでした。
当時も中国語が重要だ。なんて言われていたので、
気軽に手を出したのですが、これが意外と続いたんです。
気負いもなかった分、
淡々と、そしてプレッシャーもなく、日々の中に学習がなじんでいきました。
今思えば、「この言語をマスターしたい!」という強い執着よりも、
「今、ちょっと楽しい」「自分に合ってる」という軽さの方が、
学びを長く続けられると思うんです。
「無常」を受け入れると、学びがラクになる
「目標に向かってがんばり続けること」が美徳のように語られますが、
実はそれが苦しさの原因になっている人も多いのではないでしょうか。
気持ちは変わるし、状況も変わります。
今日の“好き”が、明日の“もういいや”になることは普通にありますよね。
目標も、そして目標に対する情熱も消えることがあります。
変わっていいし、切り替えていいのです。
その変化こそが人間らしさであり、
自然なことなんだと受け入れましょう。
学習にも“無常”を取り入れると、心がすごくラクになります。
まとめ|「今の楽しさ」に正直になる
長く続く学びとは、「やらねば」からではなく「ちょっと楽しい」から始まるもの。
学び続けることの本質は、
“止まらないこと”ではなく、
“変わり続けること”かもしれません。
学びが続かないことに悩んだとき、
「無常」を味方にする考え方を、さらに詳しくnoteにまとめています。
→続けられないあなたへ:“無常”で習慣を逆転させる勉強法