情報の洪水と「見せかけ」の裏側
YouTubeやテレビなど情報はたくさん入ってきますが、一体どれが本当なのかわからなくなる。
動画やブログで紹介されているものも、本当に本心からおすすめしたいものなのか。
ボクにも同じ案件が来たものもある。用意されているセリフも全く同じだったり。もちろん、案件を受けて収益を上げるのが配信者の生業と言う人もいるかもしれない。
でも、場合によっては視聴者を、特にファンを欺いているように思えてしまう。
YouTubeも再生回数を増やせば、収益は上がるが、その手段は正当と言えるのか。
ボク自身小規模ながら配信する側から見える景色もあり、他の配信者の動画を見ることもほぼなく、また信じることもなくなった。
ニュースに出て、放送されたものを見て、その編集にはがっくしきたこともある。やはり、見せ方はいかようにもできる。
月50冊の読書で気づいた「現代の劣化」
一時期、月に50冊くらいの本を読むようにしていたが、どれも読んだら忘れた。ベストセラーはどれも響かなかった。どうしてこんなのがベストセラーになるのかと思うものもあった。
情報を得られる手段は増えたが、どれも信用できない気がしている。
時折、何かの事件があると、YouTubeなどで分析する人たちもいるけど、実際は皆目見当違いなのではと思ってしまうことも多い。厭世的なのかもしれない。
見るもの聞くもので、思考が流されて、本質を見誤っているのだろう。みな「今」の出来事に振り回されているが、「今」の出来事に価値はないのかもしれない。「今」を積み上げても「今」の分析はできないだろう。
傑出した人物はみな遠い昔の人。現代には生まれない。これは日本だけでなく、中国でもそう言われる。
清代の文章を読むと、同じく同時代の人物を批判している。時代が進めば進むほど劣化していくのか。
メディアが作り出す「常識」から抜け出せず、思考の傾向も全て誤っているのかもしれない。
「今」に振り回されないための、古典という避難所
何も信じなくなると少しは自由になれた気もする。嘘に振り回されずに済む。
「本当」のことを言うと大変な目にあう国もある。
孔子司馬遷孟子釈迦…何か教えてくれるだろうか。
