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【論語】「孝弟也者,其爲仁之本歟?」解説|二日間格闘して、自分の未熟さに泣けてきた話

論語の「孝弟也者,其爲仁之本歟?」を深く考察する筆者の手書きノートの様子。

この一文をノートの上で二日間じっくり思考しました。

愛犬cocoをあやす両親を見て、自分が幼い時にどれほど大事にされてきたかを思い知りました。照れやちょっとした不満から、親孝行ができていないことの反省も…。

この一文にはそれほどまでのパワーがあります。

格闘したノートも、恥ずかしいですが、写真に撮って載せました。

最後まで見ていただけますように。

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論語「孝弟也者,其爲仁之本歟?」の書き下し文と現代語訳

孝弟也者,其爲仁之本歟?
xiào tì yě zhě, qí wéi rén zhī běn yú?
(簡体字:孝弟也者,其为仁之本欤?

書き下し文:
「孝弟なる者は、其れじんを為すの本か。」

意味:
孝と悌こそが、まさしく仁という徳を実践するための根本なのではないだろうか。

孝弟也者,其爲仁之本歟?重要語彙の解説

孝弟也者,

:yě」は、勢いを強めるだけでなく、文の主題(主語)を提示し、文を区切る「置き字」

:zhě」は中国語の古文で多様され、主に主語の提示「〜は」という意味で使われることが多いです。
現代中国語の“~是”と同じですね。

この場合、「也者」がセットで「孝弟」を提示する役割を担います。

其爲仁之本歟?

:rén」は、人が生まれながらに持っている、他者を愛し、万物を慈しむ心の根っこ(原理)だと朱熹は定義します。
すべての人の心に内在する最高の徳性です。

爲仁:wéi rén」は「仁を行う」ことを言い、その根本が「孝弟」(親孝行と目上を敬うこと)だと言います。

:yú」は疑問の助詞で、直接の断定を避け、問いかけのニュアンスを付け加えます。

其~歟?」で「それこそまさに〜ではないだろうか?」といった強い確信を持った推量になります。

孝と悌こそが、まさしく仁という徳を実践するための根本なのではないだろうか。

孝弟」は家庭で実行されます。

家族への愛が、他人や物への愛に拡張されるというわけです。

「仁」を極めるには何から始める? 最高の徳の入り口はこれ

『或問』という注釈にはこう書かれています。

孝弟」が「」のもとなのなら、「孝弟」によって「」に至ることができるか?-できない。

孝弟」は「」の一種であり、「行仁」(仁を行う)の始まりである。
孝弟」は「」の本ではなく、「行仁」の本である。

」は「」がもとになっていて、「」は「親愛」(親に対する愛)を超えることはないと言います。
なので、親孝行であることが「」の基本となるわけです。

儒教における最高の徳である「」は、単なる概念ではなく、実践の過程を通じて完成します。その過程は、家族への愛(孝弟)を不動の土台として始まり、以下のように無限に拡大していきます。

  1. 起点:最も身近で根源的な親への愛(孝)
  2. 拡張:その愛を兄・目上(悌)、そして隣人へと広げる。
  3. 完成:最終的に、国家、そして天下のすべての人々や生きとし生ける万物へと普遍的に及ぶ最高の愛となる。

この無限に拡大していく愛の原理こそが「」であり、「愛之理」と呼ばれる人間に内在する根源的な善の力であると定義されるのです。

思考格闘の記録(ノートも公開)

この一節だけを二日にわたって1時間ずつじっくり思考しました。

一日目:自分ごとで考える(切己体察)

ノートにはこんなふうに、ぐちゃぐちゃになりながら4ページ分書き殴りました。読みづらいので、特に核心だと思った部分をいくつか書き起こしてみます。

孝弟」ができなかった自分

「做人」(人として正しく生きる)ことの根本をはき違えていた。他人に対する態度が良いか悪いかが、徳の基準のように考えていた。

「成人之美」(人が良いことをしようとするならそれが成就できるようサポートする)や「不成人之惡」(人が悪いことをしようとしたらそれを全力で止める)の概念もなかった。

これではただの八方美人と言わざるを得ない。

その根本である「孝弟」ができていなかったのが原因だと気づく。中国古典を勉強してから「」の重要さを知っていたが具体的には何もできていない。

孝弟」には「」があることにも留意しておく必要がある。子供の頃は正反対のことをしていた。

配信していく覚悟

同時に「爲仁」を実行できている人がほぼいないことにも気づく。テレビなどのメディアの影響か?

まずこの道理自体知らない人が多いのではないか?
→このまま配信していこうと思う。

自分はできていないくせにと自分を責めたくなるが、きっと誰かに善い影響があるはず。

道理を知らずとも善根のある人はたくさんいる。必ずや誰かの心に響く。

これこそ中国語を身につけさせてもらった使命と言えるかもしれない。

「弟子規」の“首孝悌”に感銘を受けたという事実はある。俺にも善根はあるはず。

自分の「ものさし」を捨てて見えた景色

確かに親と良好な関係を持っている人たちはみな人も良かった。母もばあちゃんやじいちゃんと関係が良かった。見習うべき。

意地が悪いところもあるが、これは物質的な不足からのものであることは明白。

自分のものさしで測っているせいで、見逃してきた善が如何に多いことか。

親とcoco(愛犬)とのやりとりを見ていて、自分も幼い時に同じように愛されていたと気づく。嫌なところ一つもなし。自分が如何に大事に扱われていたかを知る。親がいるときに気づけて良かった。

愛犬ミニシュナcoco
ミニシュナcoco

照れや雑念を捨て、「」を尽くして行かなければと思う。

日本に帰ってこられたのも家族親戚のおかげであることを忘れるな。

この自分の習気に対処するためにも「孝弟」を意識していく。

二日目:「信じるため」の疑い(疑義)

この一文を本当に自分のものにするために、あえて疑ってかかります。実際にこの文と格闘してみて、結論はでませんでした。疑問は疑問のままです。

しかし、その疑問が明白になったからこそ、答えを探し続けるのかもしれません。

毒親や非道徳な大人が増えた今、それでも『孝』なのか

今の時代、非道徳な大人、親は少なくない。それでも「孝弟」は必要か?確かに「弟子規」では“孝方賢”(上手に親孝行せよ)という言葉はある。しかし、現代と当時とではギャップがありすぎはしないか?

2500年前のものを現代に適用してもいいものなのか。孔子は何世代も通ずる道理として弟子たちに教えていたのか。それとも当時の特殊な状況の中での話だったのか。

しかし、後者であるなら2500年も継承されるはずはないと思える。

孔子の教えに『女性』は不在なのか

孝弟」とどうして「」と「」を並べたのか?

」は長兄を指す。男尊女卑の考えは孔子も持っていたのか。論語には女性を敬うという言葉は出てこない。

ではなぜ「」を推奨するのか。母親は産んでくれたから例外ということか?

謎:孔子自身は、本当に「孝」を尽くしたのか?

当時の親たちはどんな感じだったのか?今のように毒親がいたことは古典の中から見受けられるが、それなのになぜ孔子は「」を強調したのか。

孔子自身の親はどんな感じだったのか。孔子自身は「」だったのか?孔子の親については言及がなく、孔子と親の関係も出ていない。なぜか?本当に孔子は親に「」を尽くしたのか。

また孔子の息子孔鯉は「」であったのか?孔子と息子とのやりとりも出ていない。

しかし、孔子が「」でなかったのなら、弟子たちから批判されるはず。本人も「」でなければ「」を強調はしないはず。

弟子たちが論語を編纂するに当たってこの言葉を置いたということからも、孔子は「」を実践していたとも考えられる。

疑問:戦乱の世で「孝弟」は響いたのか?

当時の戦乱の時代、殺人や犯罪も横行していた時に「孝弟」を説いて受け入れられたのか?

文盲の農民たちが孔子の言葉を聞いて、理解できたものか?たった一言で道理を表してはいるものの、説明を尽くすわけではなく、まして時代を経るにつれて、いくつもの解釈が生まれ、注釈がなければ理解できない。

誤解や誤読も多い。実際に理解させようと思ったら説明を尽くすのがいいのではないか?

学のあるエリートだけが理解できればいいということか?

しかし、命懸けで各地に出向き、雅言(当時の共通語)を使って遊説したわけだから、多くの人に普及させようとしたことは伺える。共通語を使っていたわけだから、共通語が理解できる層に説いて、その人たちが他の人に現地方言で普及させることを目的としていた可能性もある。

孔子が現代でツイートしたら、スルーされるのか?

当時は交通手段もなく、ネットも、ましてや本を書くにも手書き。印刷はできない。教えを広めるのも命懸け、医療も発達していない分、早死にする人も、孔子の弟子や息子を含め多かった。

今はその真逆ともいえる便利さで、ネットで自分の考えはすぐに発表できる。

では、現代に孔子がいたら、教えは広まるのか?例えば、論語の言葉をツイートしたらどうか?

スルーされるとしか思えない。→きっとそうだが、どうしてか?

誰もが考えを発表できる分、言葉が軽いのか。それとも、受け取る側の徳が足りないのか。

2500年もの間、孔子の言葉は受け継がれてきたわけだが、どうして、その間に他の聖人は生まれなかったのか?もちろん賢人と呼ばれる人間は出てきたが、孔子が淘汰されることはなかった。

孔子の約12歳年上にブッダがいる。どうしてその年代に二人は誕生したのか?

今日の一歩

孝弟」が実践できるように、常に心の中に入れておこうと思います。

実家に住んでいて毎日顔を合わせる分、お互いが不満に思ったりイラッとすることもあるのですが、そんな時にこの言葉で自分を正そうと思えました。

編集後記

最初はノートを文字起こしして、見せたくない部分は削除していたのですが、誤って削除してしまいました。

もう一度書き直すのも面倒だったので、これも何かの縁だと思い、恥ずかしいのを我慢して、格闘したノートを丸々公開することにしました…。

かなりプライベートなことも書いているので恥ずかしいですが…。スマホで撮った時には、字が小さくて見えないだろうと思っていたのですが、UPしてみるとはっきり見えるものですね笑

画像の下にはノートから引用するつもりが、書きながらどんどん疑問が湧き出し、ノートに書いていないことまで書いてしまいました。

まさかたった一文がこんなにも思考を引き出してくるとは驚きです。

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