『岩波古語辞典』を見ていたら、「き・けり」の項目で当時の日本語の過去の概念とヨーロッパの過去の概念が違うことが紹介されていました。
当時の日本語の過去の概念が現代中国語の過去の概念と通ずると思ったので、
下に引用しておきます。
現代のヨーロッパ人と古代の日本人との間には、時の把握の仕方に大きな相違がある。
ヨーロッパ人は、時を客観的な存在、延長のある連続と考え、それを分割できるものと見て、そこに過去・現在・未来の区分の基礎を置く。
しかし、古代の日本人にとって、時は客観的な延長のある連続ではなかった。
むしろ、極めて主観的に、未来とは、話し手の漠とした予想・推測そのものであり、過去とは、話し手の記憶の有無、あるいは記憶の喚起そのものであった。
ー『岩波古語辞典 補訂版』P1481
そして、この辞書では「き・けり」を過去と呼ばずに回想と呼んでいます。
中国語で過去とされる例を見てみましょう。
昨日は寒かった→昨天冷
過去を表すのは「昨天」という名詞だけです。
ちなみに、古文では昨日、一昨日といった単語はなく、「昔:xī」と表現します。
そうすると「ここのラーメンおいしかったね」と「ここのラーメンおいしいよ」は同じで
“这家店的拉面好吃”となるわけです。
また、ボクの妻や他のネイティブと話してて思ったのが、中国語では回想すらほとんどしないということです。
過去への言及は日本語ほどない、もしくはほぼなくて、あるとしたら現在と比較する時です。
中国人の妻は、「なんでおいしかったなの?いつでもおいしいでしょ」と言います。
つまり、その状態は変わらないと言うのです。
ということは、中国語では回想でもなく、ただその状態そのものを見ているからボクたちが考える過去はないと言えるかもしれません。
少なくとも現代日本語の感覚で中国語を見るとスッキリしないですね。
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