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「ハイブリット稲の父」袁隆平が死去。袁隆平とはどんな人物なのでしょうか?

今日2021年5月22日に袁隆平という方が亡くなったことが中国国内でニュースになりました。

お葬式には習近平国家主席も参加予定だと言われています。

「ハイブリット稲の父」袁隆平

ではこの袁隆平とは一体どんな人物なのでしょうか?

「ハイブリット稲の父」袁隆平
筆者のプロフィール

中国のドラマに出てお金が入る→香港に移住→一文なしに→日本でバイト→インドにバックパック→インドで騙される&軟禁を喰らう→借金を背負う→返済するために山形県に住み込みでバイト→中国人実習生の通訳をする→国際結婚→通訳として中国移住
という波乱万丈な経験をへて、いまは中国の浙江省というところに住んでいます。

著書
国際結婚のメリットとデメリットを中国人と結婚した筆者が大公開
(ルポ)中国と北朝鮮の国境で―日本人少年が体験した一ヶ月の記録
単語帳を使わない中国語勉強法プチ手帳』ほか

ハイブリットイネの父・袁隆平

袁隆平(リンク先はWikipedia)は中国の農学者で、ハイブリットイネを作り「ハイブリットイネの父」と称される。

1964ー1973年に渡って、ハイブリットイネの研究を始め、その目的は収穫量の増大にあった。

1973年〜栽培に着手し、中国を世界最大の米生産国に押し上げた。

「ハイブリット稲の父」袁隆平

彼が稲作に着手したきっかけが毛沢東が行った中国の大躍進政策(1958ー1961年)での飢饉を目の当たりにしたことのようだ。

Wikipediaによると1,500万〜5,500万人が飢饉で死亡とある。

筆者の妻のおばあちゃんと話すと、この時は食べるものもなく、雑草を食べていたと言っていた。

この光景に感化されて米の生産量をあげようと研究を始めるのはまさに英雄と言えよう。

文化大革命の中研究を続けた袁隆平

1964ー1973年の9年間ハイブリットイネの研究をあきらめずに続けるというのも誰も真似できないように思われる。

外国の技術を取り入れようにも、当時は文化大革命(1966ー1976年)真っ只中。

研究するには設備も整っていなかったと思うが、その中で9年も粘り続けることができたのは、「飢餓の人を救いたい」という気持ち以外の何物でもなかったのだろう。

当時は報酬もなにもなかっただろうし、逆に大きな報酬など受け取ったら命の危険すらあったはずだ。

「ハイブリット稲の父」袁隆平

彼が作り出したハイブリットイネは、食糧問題を抱えていた周辺のアジア諸国の助けにもなった。

その功績は世界でも称えられ、数々の賞を受賞することになる。

「ハイブリット稲の父」袁隆平

このような英雄はいつまでも英雄なのですね。

また、彼の死の6分後亡くなったのが吴孟超という外科医。
「中国肝胆道外科の父」吴孟超が5月22日死去。吴孟超とはどんな人物だったのか?



生前の中国CCTVのインタビュー映像を載せておきます。

すべて中国語ですが、雰囲気でも感じてみて下さい。

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