こんにちは!ちゃいなサプリのYukiです。
中国ビジネス情報誌『財経』第614期に紹介された記事から紹介します。
勉強法についてですね。これはビジネスパーソンも学生も参考にできる内容でしたので、今回はこの記事『日本が外国文化をうまく吸収できた勉強法』を歴史的に分析された記事をご紹介します。
動画版はこちら↓↓
日本が外国の文化を学んだ方法にはいくつかの特徴があると筆者は分析しています。
それが以下の点↓↓
ではそれぞれの項目についてくわしく見ていきましょう。
①高権威のリーダーが先頭に立って学んだ
聖徳太子と聖武天皇
7世紀飛鳥時代、聖徳太子は高句麗からの渡来僧である慧慈(えじ)を師匠とし、日本の仏教(特に法華経)を大いに発展させた。
8世紀には聖武天皇があつく仏教を信仰し、唐の先進文化や知識を熱心に学んだ。それは天平文化(710ー794年)の発展に大いに貢献した。
聖武天皇と光明皇后が収集した書物や美術品は後に正倉院に寄贈され主要なものになった。
いまでは正倉院は『シルクロードの終点』と称されるようになった。
このように聖徳太子と聖武天皇は率先して学習する精神を見せつけたと筆者は語っている。
明治時代
明治天皇は五箇条の御誓文(明治政府の基本方針)の中で「智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」と世界に対しての学びの重要性を訴えている。
1871年末には権威の高い者らで結成された岩倉使節団が欧米に留学し、帰国後は日本でリーダー的存在でい続けた。例えば、大久保利通や伊藤博文はその後の日本の首相になっている。
江戸時代の「南蛮学」や「蘭学」を始めとして、それ以降大量の科学技術書や啓蒙書を海外から日本へ持ち込んでそれを学んでいった。
②長期間・広範囲・系統的・深く・高投入の学習
遣唐使たちの学び
日本が唐から学んでいた時代、それは内容の範囲も広く、規模も大きく、また時間も長く、その影響も奥深いものであった。
遣唐使は300年近く続き、19回も派遣された。
その中でも第8回目(※この記事では第8回と書かれているが、日本の資料では第9回と書いてある)の遣唐使に参加した阿倍仲麻呂と吉備真備(きびのまきび)は中国でも著名である。
毎回の派遣で遣唐使は少なくて100人、多くて500人にのぼる大規模なものだった。
その中で日本は儒教の礼と楽、服装と法令制度、さらにはインドから中国に渡った中国化された後の仏教、哲学思想など年上を敬う精神などを全面的に深く習得していった。
その余韻は現代まで残り、特に京都の建築物や和服、さらに世界を風靡した禅宗などが挙げられる。
皇族はもちろんのこと、武士であれ平民であれ皆に「禅」の精神があった。
禅は中国に起源を発するものだけれども、英語世界では中国語の読み方である“Chan”ではなく、日本語読みの“Zen”で知られていると筆者は言う。
岩倉使節団の学び
明治維新期の岩倉使節団の正式メンバーは48人で、さらにそこに50人強の留学生が随行した。欧米での勉強時間は23ヶ月以上、遊学先はアメリカ・イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・ロシア・デンマーク・スウェーデン・イタリア・オーストリア・スイスの12カ国に上る。
また、使節団の学費は100万円以上で、これは当時(1872年)の明治政府の財政収入の2%以上であった。
(2020年の歳入102兆6,580 億円→2%は約2兆500億円)
日本から出ていくと同時に「呼び込み」も行っていた。
大量の外国人教師を日本に招き入れ、1868年から1872年の間で外国人教師に支払った給料は当時の国家予算の3.98%にあたった。
模範生:津田梅子
岩倉使節団に参加した女性は5人で、その中でも最年少だった津田梅子は当時8歳に満たなかった。
彼女はアメリカで11年の勉強を経て帰国し、その後1889年に再度渡米し、3年の留学を経て、帰国後津田塾大学を創設した。
遣唐使から岩倉使節団、吉備真備から津田梅子まで1000年以上の時を経ているにも関わらず、長時間・綿密・系統的で高く投入して外国文化を習得するやり方は一貫していると筆者は語っています。
③学習記録を要求
岩倉使節団は、学習過程でただ表面だけをざっと学んで終わること(中国語では走马观花:zǒu mǎ guān huāという。)を避けるためにメンバーに詳細な記録を残すことを要求した。
これは現在でも書物として手に入る:現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記 (角川ソフィア文庫)
国会図書館で大事に保管されていて、重要な文献となっている。
④全面的・立体的な学習
岩倉使節団は技術方面だけでなく政治・経済・法律制度から教育・思想・文化に至るまで全面的に学んだ。
イギリスの自由市場経済であれ、プロイセンの君主立憲制度や軍事制度であれ、さらにはヨーロッパ小国の独立自主精神まで使節団は真剣に考察し、学んだ。
右大臣(朝廷の最高機関)であり、使節団団長であった岩倉具視本人も技術と知識の全方面的・立法的学習の重要性には気づいていて、 「我が国には制度の確立が必須である。
有能な人物や宰相がいなくとも、国家が存続していけなければならない。」と主張したという。
木戸孝允が教育に力を入れていた当時、こんな逸話が中国に残っている。
「日本の学堂内の人の密度は、中国のアヘン館のそれくらいであった。」
知識が浸透
西洋の先進的思想・理念・科学と制度を学んだ日本はそれを上から下へ、秩序立てて実行し、定着させた―「殖産興業」「文明開化」「教育改革」「明治憲法」など
①高権威のリーダーが先頭に立って学んだ
②長期間・広範囲・系統的・深く・高投入の学習
③学習記録を要求
④全面的・立体的な学習
これらの勉強法が国をより発展させ、改革に導いたわけですね。
これらをビジネスに応用することで新たな収穫があるかも知れません。
今回は歴史の授業のようになってしまいましたが、最後までご覧くださりありがとうございました!
この筆者の文章はもうひとつ紹介しているものがあるのでそちらもあわせてご覧くださいね!
これで日本の発展と勉強態度が結びついていることがよくわかるでしょう。
≫「なぜ日本は経済大国になれたのか」を中国ビジネス情報誌が解説!
さらに日本のことを絶賛している記事もありますので、あわせてチェックしてみてください。
こちらは新潟県の農業直販店の「とんとん市場」というところが大絶賛されていました。
≫新潟発の「とんとん市場」を中国のビジネス誌が大絶賛!その理由は?
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